お気に入りの書籍、本の紹介。たまにはジャズを中心にした音楽も話題にします。 色々な本を読みますが、児童書は特に好きです。 楽しく読める本、読書感想文のお役にたてる本などをオススメします。


本の紹介
※中学年向け〜3年生4年生に♪
※中編
※生メルヘン・ファンタジー

あらすじは・・・
夏休み、ラジオ体操にはちゃんといきましたか?
いつもラジオ体操におくれる女の子と、毎日一番のりの男の子が見つけたふしぎなおじいさん。
ふしぎなおじいさんがビルの上でつり上げたふしぎなココナッツの実から、またまたふしぎなことが!


感想文のヒント!
ラジオ体操がにがてな人なら、こんなことがあるならはりきれます!と書けそう。



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冬休みが近づいてきました。
クリスマスやお正月など楽しい行事があって、じっくりと本を読む時間がないかもしれませんね。
でも、そういう時だからこそ、このブログや新聞に出ている本の紹介を参考にして、ステキな一冊に出会ってください。

本の感想が口コミで読めるサイト、読むログにも、参考になる意見がたくさん見つかります。
それを見て本を選んでもいいですし、本を読んで自分の感想をみんなに読んでもらうのもいいと思いますヨ。

あなたが出会った大切な一冊の本を、みんなの大好きな一冊にできますように。






本の紹介
高学年向け〜5年生から大人まで♪
長編
海外児童文学作品

あらすじは・・・
転校生が物語のきっかけになる。
日本、外国を問わずによくあるパターンです。

テラビシアにかける橋も、転校してきた女の子が主人公の男の子の人生を大きく変えます。
男の子と女の子の物語ですが、初恋といった甘いお話しではありません。
もっと力強い、人間の生き方を考えるような物語です。
それだけにラストシーン近くの別れの場面は、胸がはりさけそうになります。

感想文のヒント!
一番のクライマックスは、女の子とのお別れを経験した主人公の様子です。
普通に考えるような行動ではなく、まるで女の子との思い出を捨ててしまおうとするような行動をとる主人公。
どうしてそうなったのか?
それを考えるだけでも、あなたは大きく成長できます。

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いまや誰もが知っている国民的名作マンガ、「ドラえもん」。
そのもとになっているところがたくさんあるのが、「オバケのQ太郎」です。

未来からやってきて、たくさんの便利なひみつ道具をもっているのがドラえもん。
オバケのQ太郎は、空を飛んだり消えたりはできるけど、ちょっとドジ、でもカワイイ。

ドラえもんは、未来の道具でのび太を助けてくれるけど、オバケのQ太郎は自分で大工道具を持ち出して、お城をつくったり地下鉄を作ろうとがんばります。
そういう身近な感覚が、オバケのQ太郎の面白さを引き立てています。

昨年(2009年)の夏から、全集として復刊されている「オバケのQ太郎」
読み返すと、笑いが止まりませんでした。

上質のコント、あるいは喜劇映画をみるようなテンポのよさ。
短いページ数なのにぎっしりつまったストーリー。
主人公を描く線のやわらかさが生み出す親しみやすさ。

どれをとっても、一流のエンターテイメントです。

オイラ個人としては、5巻に未読の作品が多くて、たっぷり楽しめました。
西部劇とタイムスリップものをミックスした「咸臨丸とQ太郎」は、三船俊郎、アラン・ドロン、チャールズ・ブロンソンが競演した「レッドサン」を思わせます。
タイムスリップという点では、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を先取りしてるのかしら?なんて。

決して安い値段の本ではありませんが、1〜5巻のどれか一冊でもあると一生楽しめます!




いったい全体、作者は何を言いたかったのだろうか。
小説を通して作者が訴えたいことがあるのかどうか、必ずしも明白ではない。
そんなものはなくて、ただ単に面白い話を書きたかっただけかもしれない。
しかし、友情とか人を信じる心等々の美しい言葉を並べた本作には、何かテーマがあるのではないか、と考えたくもなる。
ましてや教科書に掲載されたり読書感想文の課題として取り上げられるに至っては、明確な主題があると考えるほうが自然だ。

だがどう考えてもこの物語は、おかしい。

まず、メロスがおかしい。どう考えても変なヤツだ。
市民から王の悪評を聞いて、即座に殺すと決断するのは、あまりにも短楽的だ。
まるきりテロリストである。
王が罪もない人を殺すから天罰を与えるとしても、暴虐の王と同じことをしてどうする。
第一、市民の話を聞いただけでいきり立つのが尋常ではない。
メロスは真実を確かめようともせず、いきなり「王を殺す」というのだ。
テロリスト以外の何ものでもない。

短絡的な考えは短兵急な行動となり、ノコノコと王城に乗り込んで、あさっりとつかまる。
命はいらない、と言いながら、妹の結婚式を済ませたいと未練たらしい態度が見苦しい。
身代わりに、勝手に一言の断りもなく親友を差し出すに至っては迷惑至極ではないか。
差し出された親友も、ヒトコトの苦情も言わずに唯々諾々と人質になるという不思議な世界。

メロスも親友のセリヌンティウスも、どうかしている。
暴虐の王が、一番まともに見えてしまうほどだ。

こうした数々のほころびがあるにもかかわらず、この作品が読まれるのは、何故か。
ひたすら文章の勢いと美辞麗句の並べ方のうまさだろう。
とりわけ、メロスが命を投げ出すために王城に向かって走る場面の描写のうまさ。
目の前に映画のように場面が展開するほどだ。

とはいえ、ハッピーエンドを向かえても、作者の主張はやはりわからない。
「友情のためなら命もかけよ」、というのか。
「友情のために命をかける」のが当然なら、友達に頼まれたら借金の保証人になることを断ってもいけないようだ。他人の借金を背負って泣く青年を増やしてどうするのだ?

この物語には、明確な主題など、ない。
そう思う。
作者は単に、胸がスカッとする講談モノのような気分で書いたのではないか。
友情に打たれて改心する暴虐の王、という人物像。
あまりにも薄っぺらでおよそ西洋的ではない。

作者の頭には、任侠モノとか浪花節的なストーリーが浮かんでいたのではないか。
悪代官の横暴を見て、旅のやくざモノが義侠心を起こす。
ただそれでは、あまりに小説として俗なので、舞台を西洋に移したのではないか。
青森出身の田舎者だった作者が、コンプレックスの裏返しで都会をも越えた西洋の昔話という舞台を選んだのではなかろうか?

そんな作品が今もなお、教科書に取り上げられるのは、どうしてか?
おそらく、作者の意図を美しく誤解した文学者や教育学者の心の底には、作者と通じ合うコンプレックスが今でもあるに違いない、と思う。
文学青年崩れが喜びそうな主題だもの。